バーチャル対談

私は山口の山や里が
一番美しいと
思っちょる。

山縣有朋の写真
第三代・第九代内閣総理大臣
山縣有朋

1838(天保9)年~1922(大正11)年。生まれは長州藩の下級武士の家ながら、学問、武芸共に秀で頭角を現す。久坂玄瑞らに感化され尊皇攘夷を志すようになり、短期間ながらも松下村塾で吉田松陰の薫陶を受けた。明治維新においては奇兵隊の軍監を務め、高杉晋作を支えるなど活躍。戊辰戦争では参謀を任じられ北陸戦線を担った。そして、明治新政府では内務大臣、内閣総理大臣、枢密院議長、陸軍卿などを歴任。最重鎮「元老」となり日本を導いた。一方で、築庭への造詣の深さも有名で、自身の邸宅など数々の庭の造営を指揮し、故郷・長州の自然や里の美しい風景を重ね合わせたとも言われる。現在、その代表作「椿山荘」「無鄰菴」「古稀庵」は、近代日本庭園の傑作と評されており、日本史のみならず我が国の 庭園史 において革命者として大きな足跡を残した。

その原体験が日本庭園の
ルネッサンスを
起こしたんですね。

知事の写真
山口県知事
村岡 嗣政

昭和47年(1972)、宇部市生まれ。山口県立宇部高校では生徒会長を務める。その後、東京大学経済学部を卒業。平成8年(1996)、旧自治省(現・総務省)入省。北海道や広島市、高知県に出向する一方、本省では財政畑を歩む。平成26年(2014)1月に総務省を退官。同年2月、県知事選で初当選。第47代山口県知事となる。現在、山口県の未来を確かなものにするために、『活力みなぎる県政』の実現を目指し、全力を尽くしている。

私は山口の山や里が
一番美しいと
思っちょる。

山縣有朋の写真
第三代・第九代内閣総理大臣
山縣有朋

1838(天保9)年~1922(大正11)年。生まれは長州藩の下級武士の家ながら、学問、武芸共に秀で頭角を現す。久坂玄瑞らに感化され尊皇攘夷を志すようになり、短期間ながらも松下村塾で吉田松陰の薫陶を受けた。明治維新においては奇兵隊の軍監を務め、高杉晋作を支えるなど活躍。戊辰戦争では参謀を任じられ北陸戦線を担った。そして、明治新政府では内務大臣、内閣総理大臣、枢密院議長、陸軍卿などを歴任。最重鎮「元老」となり日本を導いた。一方で、築庭への造詣の深さも有名で、自身の邸宅など数々の庭の造営を指揮し、故郷・長州の自然や里の美しい風景を重ね合わせたとも言われる。現在、その代表作「椿山荘」「無鄰菴」「古稀庵」は、近代日本庭園の傑作と評されており、日本史のみならず我が国の 庭園史 において革命者として大きな足跡を残した。

村岡
山縣さんは、大の日本庭園好きとのこと。
山縣
日本人は、古より、岩や山に神を感じてきた。それを源とする日本の庭園文化は、遊興の月見や宗教の修業、時には権力誇示の場として、発達してきたんじゃ。共通するのは、自然の中に美を見出す、日本人の美意識なんじゃろう。
村岡
その日本庭園は、今や日本が世界に誇る文化の一つですが、近代日本庭園の中で、一大革命を起こしたのが山縣さんですよね。
山縣
山口には、魅力ある日本庭園が数多くある。例えば、常栄寺の雪舟庭は禅の教えを説いていて、滝の中の鯉魚石からは日々の成長の大切さを教えられる。一方で、わしは、五感で感じて、ただ美しい、ただ楽しい庭があっても良いと思っているんじゃ。
村岡
それは、京都の無鄰菴で、山縣さんが創り出した自然主義の庭ですね。山縣さんの指示で、新しい日本庭園づくりに挑戦した庭師の小川治兵衛さんは、その後も開放的な日本庭園を各地で作りましたね。これは、まさに、日本庭園のルネッサンスです。
山縣
わしは、子供の頃に遊んだ、山口の山や里の風景が一番美しいと思っている。それを、再現しただけじゃ。苔よりも、明るい芝の方が好き。池よりも、田舎にあったのは川の流れ。石の組み方も、阿弥陀仏に見立てるよりも、自然に据えて石の肌を美しく見せた方が、心が和むじゃろう。この自然主義の日本庭園の傑作の一つは、盟友の井上馨もかかわった毛利氏庭園じゃね。
村岡
眺める庭、学ぶ庭も良いですが、庭は五感で感じることもできるのですね。毛利氏庭園のあの解放感は、素晴らしいですね。
山縣
そうじゃろう。大事なことは、日本庭園の感じ方は、人それぞれで良いということじゃ。それぞれが、何をどう感じるかは自由。自分と向き合い、心がふっと軽くなる、そのような場となるのが一番の理想じゃろう。
村岡
日本庭園の魅力は、心で会話する時間を過ごせることなんですね。
山縣
そして、日本庭園には、伝えようとしているメッセージや、足を止めさせ見せたいアングルといった作庭の意図もある。それらを、飛石や、作庭様式から紐解いていくと、面白みも増すじゃろうなあ。
村岡
最後に、日本庭園を楽しむためのポイントを教えてください。
山縣
日本庭園は、紅葉や桜の季節のイメージも強いが、作庭においては、冬枯れの季節や、一日の太陽の動きを通しても、その時々で美しく見せるための工夫が随所に施されているんじゃ。また、雨の日の日本庭園も素晴らしい。雨に濡れた石の色は艶を増し、もやで樹々の輪郭があいまいになる。そのような自然の変化に美を見出してきた日本人の心を感じることも、また趣があるよのう。
村岡
日本庭園の美しさと奥の深さを体験しに、「Go To山口」、していただきたいですね。

その原体験が日本庭園の
ルネッサンスを
起こしたんですね。

知事の写真
山口県知事
村岡 嗣政

昭和47年(1972)、宇部市生まれ。山口県立宇部高校では生徒会長を務める。その後、東京大学経済学部を卒業。平成8年(1996)、旧自治省(現・総務省)入省。北海道や広島市、高知県に出向する一方、本省では財政畑を歩む。平成26年(2014)1月に総務省を退官。同年2月、県知事選で初当選。第47代山口県知事となる。現在、山口県の未来を確かなものにするために、『活力みなぎる県政』の実現を目指し、全力を尽くしている。