私が築いた山口が
世界から注目を集めようとは。
なんと誇らしいことよ!
- 大内氏当主
- 大内 弘世
南北朝時代の大内氏当主(9代、史料によっては24代とも)。周防国では父の代から続いていた鷲頭系大内氏との抗争に決着をつけ、その後、長門国では厚東氏を破り、大内氏による両国の支配を確立する。本拠を山口に移し(時期は諸説あり)、京を模した街づくりを行ったとされ、伝統工芸「大内塗」など、「大内文化」の起源にまつわる数多くのエピソードを残す。
大内氏代々が築いた文化や風土、
これらを土台とする「祭り」も
世界に発信されました!
- 山口県知事
- 村岡 嗣政
昭和47年(1972)、宇部市生まれ。山口県立宇部高校では生徒会長を務める。その後、東京大学経済学部を卒業。平成8年(1996)、旧自治省(現・総務省)入省。北海道や広島市、高知県に出向する一方、本省では財政畑を歩む。平成26年(2014)1月に総務省を退官。同年2月、県知事選で初当選。第47代山口県知事となる。現在、県民誰もが未来に希望をもって暮らせる『安心で希望と活力に満ちた山口県』の実現を目指し、全力を尽くしている。
私が築いた山口が
世界から注目を集めようとは。
なんと誇らしいことよ!
- 大内氏当主
- 大内 弘世
南北朝時代の大内氏当主(9代、史料によっては24代とも)。周防国では父の代から続いていた鷲頭系大内氏との抗争に決着をつけ、その後、長門国では厚東氏を破り、大内氏による両国の支配を確立する。本拠を山口に移し(時期は諸説あり)、京を模した街づくりを行ったとされ、伝統工芸「大内塗」など、「大内文化」の起源にまつわる数多くのエピソードを残す。
- 弘世
- ふふ、立ち並ぶ屋敷の姿はすっかり様変わりしておるが、相変わらず美しい街並みじゃ…。
- 村岡
- どうですか、ご自身がまちづくりをはじめられた山口の今の様子をご覧になって。
- 弘世
- おお、村岡殿! かつてわしの屋敷があったあたりは、町割りがそのまま残っておるのう!一の坂川の流れも美しいまま、両岸に桜を植えるとは、後世の者も良いことを考えたものよのう。
- 村岡
- 春の桜だけでなく、夕暮れ時に光り輝く初夏のゲンジボタルも山口県の名物の一つとしてすっかり定着しています。地域の皆さんのご尽力で、都市の中にあっても川の自然が保たれ、四季折々の美しい光景が堪能できます。そういえば弘世さんが京の都より迎えた奥方を喜ばせるために、宇治川のホタルを一の坂川に放った、という伝承は事実なんですか?
- 弘世
- むふふ、その辺はご想像にお任せする、というやつじゃ。歴史のロマンをあっさり種明かしするのは野暮というものよ。それにしても、我が子義弘、盛見はもとより、子孫たちはこの山口を見事なまでに繁栄させたようじゃのう。風水もしっかりと見極めたゆえ、まあ、それも当然かのう。
- 村岡
- 雪舟を庇護し庭造りを依頼した政弘さん、室町将軍を補佐した義興さん…。そして義隆さんの宣教師フランシスコ・サビエルとの交流は、現代のスペインのパンプローナ市と山口市、そして山口県とナバラ州の交流にも繋がっています。
- 弘世
- 異国の者の姿も随分多いのう。物珍しそうに街めぐりを楽しんでおるようじゃ。
- 村岡
- そうなんです! 実は、ニューヨークタイムズ紙の「2024年に行くべき場所52カ所」で山口市が3番目に紹介され、一躍世界の脚光を浴びることになりました。おかげさまで、メディアでも大きく取り上げられて、国内外から多くの観光客が訪れています。
- 弘世
- わしが築いた山口の街並みの素晴らしさが、遠い異国にのう…。む、あの者がスマホとやらで見ておるのは地図か?
- 村岡
- おお! 山口の「古地図」ですね。弘世さんの時代から約500年後、現在から約150年前、江戸時代末期の山口を描いた古地図が残っていて、毛利敬親さんによって萩から移された藩庁が「山口屋形」として記されています。近年は「古地図を見ながら」の街めぐりも山口県全体で推しているんです。
- 弘世
- ふむ! この地図では、わしが京より勧請した「祇園社」が竪小路ではなく鴻ノ峰麓にあるのう。
- 村岡
- 「祇園社」は、当初弘世さんは堅小路に創建されましたが、その後、鴻ノ峰麓に、さらに、この地図が描かれた直後に現在地へ遷り、社名も「八坂神社」に変わりました。毎夏の「山口祇園祭」も、ニューヨークタイムズ紙で紹介されたこともあって、今年は例年にも増して大勢の人で賑わいました。
- 弘世
- 祭りが始まったのは、孫である教弘のころと聞いておるが、大内氏の繁栄が「大内文化」として、こうして未来の世界に伝わっておるとは…。感慨深いのう。
- 村岡
- 今日、山口が「西の京」と呼ばれているかつての繁栄は、大内氏当主の皆さんが積極的に文化人を庇護されたからこそ。国宝「瑠璃光寺五重塔」、大内塗、日本で初めてのクリスマスなど、大内文化の数々の象徴は山口に暮らす人々にとって、ふるさとの大きな自慢です。「山口祇園祭」の「市民総踊り」では、皆さんを讃える「大内のお殿様」を皆で踊るんです。そうだ、弘世さん、来年は審査員としてぜひご出席されませんか !
- 弘世
- ほう! ならば、座っているだけではつまらんではないか! 義弘に盛見、代々の当主で総踊りに出陣じゃ! 村岡殿、振りを教えてくだされい!
- 村岡
- おお、これは来年の目玉になるのでは! せっかくなら神輿も担いで…、いや、どうせなら県内の祭り行脚といきましょう!
大内氏代々が築いた文化や風土、
これらを土台とする「祭り」も
世界に発信されました!
- 山口県知事
- 村岡 嗣政
昭和47年(1972)、宇部市生まれ。山口県立宇部高校では生徒会長を務める。その後、東京大学経済学部を卒業。平成8年(1996)、旧自治省(現・総務省)入省。北海道や広島市、高知県に出向する一方、本省では財政畑を歩む。平成26年(2014)1月に総務省を退官。同年2月、県知事選で初当選。第47代山口県知事となる。現在、県民誰もが未来に希望をもって暮らせる『安心で希望と活力に満ちた山口県』の実現を目指し、全力を尽くしている。